「無理の構造」を読んでいます(その8):人の数だけ公平さは存在する
続きです。
理不尽さは現象が原因ではなく、頭の中にある。
「どうしていくら言ってもわかってもらえないのだろう」
「あれほど確認したのに、なぜ伝わらなかったのだろう」
コミュニケーションの問題は、達成されたという幻想。
伝わる状態があいまい。
「自分は他人のことを分かっている。」
「他人は自分のことを分かっちゃいない。」
「常に分かっているのは自分で、分かっていないのは他人。」
幻想を気持ちのよい幻想に変えていく。
「わかっていない」を起点にすれば、「少しでもわかった気分になる」ことでプラスに考えられる。
公平の理不尽さ、「世界に中心はない」という前提が理不尽さの根源。
世の中が公平であるはずがない。そう思わなければやってられないが、現実はそうでない。
結果の公平さと機会の公平さは相矛盾。
全員が同じ機会を与えられ、結果に差がついた。
がんばってもがんばらなくても同じ賞品が出る。
成績や能力を公平に評価する方法など世の中に存在しない。
自分が高く評価される基準こそ公平と思っている。
人の数だけ公平さは存在する。自分に都合のよい公平さでしかない。
続きます。