「無理の構造」を読んでいます(その9):見えている人は幽体離脱して自分を外側から見られる
続きです。
プレイヤーと観客の非対称性。
制約、時間、お金の妥協で割り切っている。
批判する側は妥協点を突く。後だしじゃんけん。
新しい概念を理解してもらうのは至難の業。
新商品の予算、仕組み。
分かっていない人は、
自分が分かっていないことを分かっている人と
分かっていないことすら分かっていない人。
見えている人と見えていない人。
視点の高さ
見えていない人には、壁の向こうの世界に思いを至らせることはない。見えているものが世界のすべて。
見えている人は幽体離脱して自分を外側から見られる。
壁の上から内と外を認識できる。
見えていない人は、根拠のない自信、自分が中心、すべて正しい。
新しい概念を否定。
見えている人は、理解できないことは「間違っているのは自分かもしれない」と常に疑いを自分に向けている。
見えている人は、「分かったかどうかは分からない」。
見えていない人は「分かった分かった」と言う。
マジックミラーで見えていない人からは見えている人は見えない。
見えていない人は、「上から目線」に不快感、分からない状態が分からない。
見てている人は、歯がゆい、頭の固さに不快感。
相手の無知を啓蒙したいが伝わらず歯がゆい。
「常識にとらわれるな」は「常識にとらわれている人」には届かない。
続きます。