「ロジカル・プレゼンテーション」 を読んでいます(その12):分析して当たり前の答えしか出ない場合が非常に多い
続きです。
駅から近いから通勤時間短縮を疑う。
近いが周り道、踏切で待つ、歩道橋、精度が高まる。
動かぬ証拠、ファクト。
収集分析は膨大な作業。
落とし穴は仮説なき検証。何の目的か論点。
これを検証と指示せず、とにかく調べるのはムダ。
「市場は拡大する」の検証に、「過去3年分」だけ。
予測、消費者動向、参入障壁、競合他社、、、。
正しいかは相手によってばらつく。
過去3年で拡大とみる人、過去10年で衰退と言う人。
検証に終わりはない。
終わりは相手がなるほどそうだよねという。
分析して当たり前の答えしか出ない場合が非常に多い。
意見が割れているから検証するので、何人かは分かっていたというのは仕方がない。
なぜ検証するか、8割の当たり前に、2割の気づきがあれば成功。
反対と正面切って言えない気質には、このデータからこの結論と物を介した議論。
仮説検証の過程で、新情報から新たな仮説が生み出される。
強いファイルを入れる。
定量-定性、一次情報ー2次情報、第3者-当事者。
定量は見る人に関わらないので説得力がある。
一次情報は営業が集めた顧客情報や分解調査した製品情報。
第3者は社外、客観的とみられる。
続きます。